Oasisお勧めCD(第31回)

音楽にこだわりのある、OasisならではのCD紹介コーナーです。

  
 

ご存知の通りオアシスが10周年を迎えられた(改めまして、おめでとう!)。ホーム・ページも一新するらしい(既にできている?)。それに伴って、一休みしていた(単にダレていただけだった‥)CD紹介もまた気分次第で始めることになった。

そんなこんなで再開にあたって、まずはノーマン・シーフという人の名前を取り上げる。別に、ミュージシャンではない。中には知っている人もいるかとは思うけれど、70年代以降の、最も有名なロック・アルバム・フォトグラファー。彼の作品を少し挙げただけでも、ストーンズ、キッス、ザッパ、エアロスミス、ヴァン・ヘイレン、ヴァン・モリソン、イーグルス、ジョニ・ミッチェル、カーリー・サイモン、アート・ガーファンクル、デビット・ボウイ、フリートウッド・マック、ザ・バンドやトム・ウェイツ、最近ではレイ・チャールズも‥まだまだ、これもあれもそうだったのか、と言うくらい有名なアルバム・ジャケットを撮っている。あまたのミュージシャン連中が、ノーマン・シーフに撮ってもらいたい中、全くの新人のデビュー作を撮って絶賛されたアルバム・ジャケットがある。夕闇の背景の中、ベレー帽を被り、美しいブロンドの髪が少し乱れ、伏目がちにタバコに火を点けて‥タイトルは、そう「RICKIE LEE JONES」。

前に、ホントに好きになると人には紹介したくない人もいる、と書いてリッキー・リー・ジョーンズを書くのを拒んだ事があったんだけれども、オアシスでの再会にあたって私の一番お気に入り女性の作品を紹介します。リッキー・リー・ジョーンズのデビュー作『浪漫』(79年)。この『浪漫』がいきなりブレイクして、翌80年のグラミー新人賞を獲得することになるのだが、当時全くの無名ミュージシャンに、よくもまぁ、これだけの有名人がゲスト参加したなぁ(結局、それなりの有名な理由はあったのだけど)というくらい豪華なラインナップだった。プロデューサーには売れっ子レニー・ワロンカーにラス・タイトルマン、ミュージシャンにトトの連中ジェフ・ポーカロやスティーブ・ガット、マイケル・マクドナルドやランディー・ニューマン、トム・スコット等、そして印象的なジャケット写真はノーマン・シーフ、西海岸の人気者たちが集合した感じであり、バーバンク・サウンドの威信をかけたデビュー作となっている感がある。

しかし、プロデューサーの腕が一流だからなのか、ゲストに名前負けせずリッキー・リー色を確立している所が何より凄い。アコーステックなギターの音色を中心に全11曲。オープニングは大ヒットした「恋するチャック」、デビュー前にトム・ウェイツとチャック・E・ワイズと過ごしていたホテル・トロピカーナでの青春の日々を唄い、セカンド・シングル「ヤング・ブラッド」、リトル・フィートのローウェル・ジョージがリッキー・リーのデビュー前に、既に彼女の曲を取り上げていた「イージー・マネー」、情感たっぷりの「クールズヴィル」や余韻が印象的な「カンパニー」など聴いてしまうと、やはりジョニ・ミッチェルやローラ・ニーロをも彷彿させる。そしてデビュー作でこれだけの早熟さは、かつて恋仲にあったトム・ウェイツのデビュー作「クロージング・タイム」のよう‥。

1954年11月、住所も定まらぬボードビリアンの子に生まれ、父親の愛に恵まれず、10台半ばには家出を繰り返し、18で堕胎まで経験してしまい、それでもイージー・マネーに流されることなくコーヒー・ハウスやストリートで歌いながら、やがて酔いどれ詩人トム・ウェイツと知り合ったボヘミアンなリッキー・リー。彼女が掴みたかったのは、成功ではなく安らぎではなかったのか‥ノーマン・シーフのジャケット写真が、そんなリッキー・リー・ジョーンズを捉えているようにも見える。

そして既に20年以上、私の中で女性ミュージシャンのフェイバリットは彼女のまま、代わりません。(セカンド・アルバムのジャケットはブラッサイ。ピカソやダリとも親交のあったパリのナイトウォッチャー。このセンスがタマラナイ‥)


そしてもう1枚。

アメリカの音楽シーンにおいて、1964年ビートルズのアメリカ上陸は大事件だった。彼らがアイドルとして世界の頂点に立ったのことはもちろん、ビートルズとの相関関係で劇的なケミストリーがいくつも起こった。

前にもこのコーナーでちょっと紹介した西海岸の人気グループ、ビーチ・ボーイズ。一人の天才ブライアン・ウィルソンがビートルズの影響で1枚のコンセプト・アルバム『ペット・サウンズ』(66年)を作ってしまった。やがてこの作品が『サージェント・ぺパーズ』(67年)を誘発することにもなる。

もう一人の天才もビートルズに影響を受けた。プロテスタント・フォークのプリンスとして東海岸の若者達から絶大な影響力を誇ったボブ・ディラン。これまでのキャリアを捨て去るようにエレクトリックなバンド・サウンドへとアプローチを開始する。マイク・ブルームフィールド(後のポール・バターフィールド・ブルース・バンド)等とコラボレートした『追憶のハイウェイ61』(65年)や『ブロンド・オン・ブロンド』(66年)といった代表作。そして、その後のザ・バンドとの組み合わせ。ロック・バンドへと傾倒を強くしたディランに対し、ジョン・レノンも、何かとシリアスだったアメリカに渡り、ディラン等と交わったことで、アイドルを辞め、内省的な方向からしだいに社会的な言動が強まっていく。

そしてフォークからロックへと変化に富んだ時期のディラン、デビュー前59年のホーム・レコーディングから『ブロンド・オン・ブロンド』までを集めたブートレック・シリーズ第7弾が『ノー・ディレクション・ホーム』というタイトルでこの秋発売された。2枚組み28曲、ディスク1がフォーク時代のライブ盤やらオルタナ・テイクを集めたソロでのものであり、ディスク2が前述した2枚のロック・アルバムの別テイクを中心としたもの。しかし、これは単にマニア向けというばかりでなく、最も重要な時期のロックの、そしてディランの集大成的ベストとして、ディラン入門編としても使えそうな2枚組みだとも思えるので、このコーナーでも紹介させてもらいます。

これらを1曲ごと紹介もしたいのですがページに限りもあるので、別冊になっている写真集付ライナー・ノーツのページをめくりつつ、簡単にディランのこの時期を振り返る(輸入盤で買ってしまったので何が書いてあるのかはよく分らないけれど、写真だけ見ていても楽しい‥)。この別冊の表紙は『フリーホイーリン』の別ショット、スーズ・ロトロ(美人だなぁ)との腕組みショット。彼女はいつも余裕の笑顔で、その横でディランはいつも照れくさそう。ミネソタの少年時代のものや、NYへの出始めと思われるスナップもあるが、段々と眉間に皺の寄るような顔つきになっていると思うのは気のせい?ディスク1はそうした頃のソロのナンバーを集めたものになっている。「くよくよするなよ」や「風に吹かれて」「戦争の親玉」「激しい雨が降る」「船が入ってくるとき」「自由の鐘」といった代表的なプロテスタント・ナンバーや「ミスター・タンブリンマン」「イッツ・オール・オーバー・ナウ・ベイビー・ブルー」とお馴染のナンバーが収められている。

ディスク2は、「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」「マギーズ・ファーム」以外は『追憶のハイウェイ61』と『ブロンド・オン・ブロンド』から10曲。こうやって2枚のアルバムを聴き比べてみると、一体感のあるザ・バントとのコラボレーションより、奇才アル・クーパーや業師マイク・ブルームフィールドとのラフな感じのほうが個人的な好みなんだなぁ、なんて漠然と思ってしまう。このブートレック・シリーズ『ノー・ディレクション・ホーム』のラスト・ナンバーは、同シリーズ第4弾での1966年のライブ盤から「ライク・ア・ローリング・ストーン」。フォークからロックへと転身したディランに対し、観客からユダ!(裏切り者)と叫ばれドッと笑われ、ディランは、おまえ等なんて信じない、嘘つき者、と言い返し演奏を始める。ロビー・ロバートソンのギターが怒ってます。ガース・ハドソンの鍵盤も怒ってます。リック・タンゴはまだ痩せてます。レヴォン・ヘルムはいません。そして何より、ディランが尖がってます。

流れる川が濁らないように、転がる石には苔は生えない。

写真集のラスト・ページには颯爽とバイクを運転しているボブがいる。若き日のモーター・サイクル・ダイアリーズ。この後、彼はバイク事故で隠遁生活に入るのである‥!

  2005年11月19日
ライアー宮崎

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