Oasisお勧めCD(第22回)

音楽にこだわりのある、OasisならではのCD紹介コーナーです。

  
 

 流行りものに疎い(あまり興味の無い)のは今に始まったことではないが、真夏の異常な長雨の中、崩れてしまった予定を恨めしく思いながら、気分転換にボーッと温故知新的に今年前半の音楽を振り返ってみると…。

 今年、アル・クーパーが何気にブームだった?ような気がする。人気のフリー・ソウルのコンピ盤に取り上げられたり、紙ジャケでの旧譜の再発、そして6月の来日という具合になんだか耳に付いた。

 という事もあり、今回はアル・クーパーとその周辺の人達を振り返ってみようと思う。(それにしてもこの雨、何とかならんのか…)

 私のような60〜70年代のアメリカ好き、ルーツ・ロック好きには彼の名は避けては通れない、ロック界のキーパーソンの一人ではある。

 小さい頃からピアノやギターを習い、60年代半ばにはソングライターとしてヒット曲も出す。しかし、当時の彼はフォーク・シンガーになりたかったらしい。きっかけであり、ヒーローはもちろんボブ・ディラン。なんとかディランのレコーディングにもぐり込めたが、希望したギタリストにはすでに(その後、盟友になる)マイク・ブルームフィールドが内定していた。仕方なく弾いたオルガンをディランが気に入り、そのままアルバム・セッションに加わった。こうして偶然の産物とはいえ、アルのそのオルガン・プレイがとても印象的なロックの名曲「ライク・ア・ローリングストーン」が生まれ、名作「追憶のハイウェイ61」(65年)が完成する。皮肉なことに、アル・クーパーはこの後セッション・ミュージシャンとして(それもオルガン)引っ張りだこになり、ディランの次作「ブロンド・オン・ブロンド」(66年)にも参加する事になるが、平行してバンド活動に興味を持ち始める。 

 まずは、スティーブ・カッツ(イーヴン・ダズン・ジャグ・バンド、マリア・マルダーもいた)のブルース・プロジェクトに加わり、その後、ブルースやロックにジャズやホーンをフィーチャリングした革新的なアイディアを持ったバンドを自ら作り出す。ご存知、ブラット・スウェット・アンド・ティアーズの結成である。アルはこのバンド結成により時代の寵児になる。しかし、デビュー作「子供は人類の父である」(68年)を受け入れるには、聴く方はおろか、演っている本人達にも早すぎた。我の強すぎるリーダーにメンバー達が反発、アル・クーパーは自らのバンドを追い出されてしまう。そしてバンドはメンバーを補強して、2枚目にしてBS&T最高作となる「血と汗と涙」(69年)を発表。このアルバムが素晴らしいので、まずは今回の推薦盤にさせてもらう。

 オープニングは、あのエリック・サティの変奏曲で始まる。当時としては本当に度肝を抜かれた展開でスタートを切ったのではないか???カバーが多く、2曲目のトラフィック、私の大好きなローラ・ニーロは5曲目、セカンド・シングルになった8曲目は黒人シンガー、ブレンダ・ホロウェイのヒット曲。シングルとしても5・7・8曲目がそれぞれ2位まで上がるヒットをした。ヴォーカルが、アル・クーパーからデヴィット・クレイトン・トーマスに変ったことも成功の大きな要因か。特にアルバムの後半8曲目「ユーブ・メイド・ミー・ソー・ベリー・ハッピー」から「ブルース・パートU」(途中クリームのヒット曲が挿入され)、そして叫び狂ったようなヴォーカルがフェイド・アウトしていく中、再びオープニングのサティの静かなるイントロが流れてくる構成は、まさに圧巻である。

 

 さて、再び話は60年代半ばのディランズ・セッションの頃に戻すが、アル・クーパーの盟友、マイク・ブルームフィールドはというと。その後、シカゴきってのホワイト・ブルース・バンドとなるポール・バターフィールド・ブルース・バンドに加入。その当時のアメリカの白人ブルースマン達は、どちらかと言うとイギリスの連中と違って、南部のカントリー・ブルースに執着心があったようで、そんな中、ポール・バターフィールドのシカゴを拠点とするエレクトリック・ブルースは貴重だった。彼等のデビュー作(65年)もいいが、2作目の「イースト・ウエスト」(66年)はオアシスにも置いてあるので、今回の2枚目の推薦盤にしたい。

 簡単に主要メンバーを言っとくと、リーダーのポール・バターフィールドは41年のシカゴ生まれ。65年に、当時シカゴ大学の学生だったエルビン・ビショップ(この人も70年代になりソロとして活躍した、ニール・ヤングと並ぶ農家くさい人)と出会い、更には、ひと旗挙げたミネソタ出身(ディランと同じ)のマイク・ブルームフィールドと、凄いメンバーが揃ってバンドが出来上がった。

 1曲目は、あのロバート・ジョンソンの「ウォーキング・ブルース」で始まる。3曲目にはマイクの官能的なギターの音色が冴え、5曲目は(あのアリナミンVドリンクのテーマだった)「ワーク・ソング」が演奏される。ポールのブルース・ハープに続いて、エルヴィンとマイクのギターの掛け合いで、名曲が違った形で蘇る。それにしてもラストのタイトル・ナンバーは絶品。私の持っているアルバムのライナー・ノーツにも、この曲はクラプトンとジャック・ブルースの「スプーンフル」、デュアン・オールマンとディッキー・べッツの「マウンテン・ジャム」と並ぶ、ホワイト・ブルースの名曲と書かれている。

 今回紹介した2枚のアルバムは、55年にロックンロールが誕生し、ポピュラー・ミュージックの座をジャズから奪うにあたって、ジャズの命ともいうべきインプロヴィゼーションをロック・ミュージックにおいても成り立つことを証明した人達の一部であり、その代表作でもある。それはブラス・ロックともジャズ・ロックともブルース・ロックともニュー・ロックとも呼ばれた。ただ一つ言える事は、ビートルズが、ロックは何でもありだ、と教えてくれた一つの答えでもあり、過渡期におけるロックの進化系でもあった。

 最後に時間軸を68年にまた戻す。この年のアル・クーパーは忙しい。BS&Tを作ったもののクビになりバンド活動が嫌になったのか、セッション・アルバムという、これまた当時としては規格外のレコーディングを重ね評価を高めていく。まずは盟友マイク・ブルームフィールドとスティーブン・スティルスとの「スーパー・セッション」(スティルスの参加の経緯がおもしろいが)。フィルモア・ウェストにおけるマイクとのライブ盤「フィルモアの奇蹟」、更には「クーパー・セッション」、そしてロストテープとして今年になりCD化された「フィルモア・イーストの奇蹟」では、何とデビュー前のジョニー・ウィンターがプレイしている!(これがまた良い)

 こんな大活躍していた35年前のアル・クーパーに会いたかった。

アル・クーパーの6月の来日には行かなかった。

マイク・ブルームフィールドは81年死去。

ポール・バターフィールドは87年死去。 

                                 2003年8月16日

   
ライアー宮崎


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