Oasisお勧めCD(第21回)

音楽にこだわりのある、OasisならではのCD紹介コーナーです。

  
 

 私はスポーツ観戦が好きである。一番好きなのは、割と地味だが駅伝競技。ついで贔屓チームのあるサッカーや野球といったメジャーな球技。埼玉県民の私としては、浦和レッズや西武ライオンズが負けると機嫌が悪くなる。逆に、駒場スタジアムで勝利の余韻に浸りながら歌うロッド・スチュワートの「セイリング」の替え歌は、なんとも言えぬ心地よさをおぼえる。

 気が付いてみると、あのサッカーW杯からもすでに1年経ってしまっている。私も、決勝トーナメント1回戦を新潟スタジアムまで行って、生べッカムを見て興奮した一人だった。

 さて、何故サッカーネタで始めたかというと、今回紹介するミュージシャンは、サッカー好きで有名なイギリスの生んだスーパー・スター、ロッド・スチュワートの作品で「エブリ・ピクチャー・テル・ア・ストーリー」(71年)に決めたから。彼は小さい頃、プロのサッカー選手になることを夢見ていた程らしい。先程の「セイリング」という彼の代表曲は「アトランティック・クロッシング」(76年)に入っていて、この頃から、彼はスーパー・スター街道を爆走するのだが、ただ、私的にはフェイセズと二足草鞋を履いていたマーキュリー時代まで、イギリスに活動拠点があった頃が一番好きである。

ロッドは、割とカバー曲のセンスの良さを言われるが、今のR&B一辺倒と違い、昔はかなりフォーキーだった。ソロ2作目「ガソリン・アレイ」(70年)ではディラン先生やスター・エルトンの曲をやっているし、今回紹介する3作目「エブリ〜」でもクラシカルなナンバーに挑戦している。

 そしてこの時代のロッドは、その仲間達が何より良い。ロン・ウッドにロニー・レイン、イアン・マクレガンといった連中とロックしていた。本作のアルバムのオープニングではタイトル・ナンバーで騒々しく始まり、3曲目にはキング・エルビスが最初にレコーディングをしたうちの1曲「ザッツ・オール・ライト」を、そしてメドレーで「アメイジング・グレイス」へと続く。アルバムは全体的に、マンドリンやヴァイオリンといった楽器を程よく使い、ミック・ウォーラーのドラムスなどは、これぞロックン・ロール・バンドだ。そして4曲目のディラン先生の曲に続き、私が1番好きなロッドの曲、名曲中の名曲「マギー・メイ」へとつながっていく。特に後半の、あのマンドリン・ソロは素晴らしい。アルバム全8曲、アマチュアっぽさも残しながら、実は本物にしかできないカバーやオリジナルを散りばめ、一分の隙も見せない。そしてそんな彼は、74年に発売される「スマイラー」まで続くが、76年に大西洋を越えてからは、かっこいいロックン・ローラーから単なるパフォーマーになってしまった感がある。更に最近などは、イギリス版バリー・マニロウといった感じでディナー・ショー歌手と言ってしまったら言い過ぎか?90年代に観に行ったコンサートでも、新譜に合わせてのツアーだったにも係わらず、新しい曲は1曲もやらず(チープ・トリックもそうだった、でも何故か許せた)、アンコールではビートルズの「ゲット・バック」を唄いながらサッカー・ボールを蹴っていた。そして、このシーンしか憶えていない。「マギー・メイ」って演ってくれた?

誇り高きスコットランドの血は、大西洋の海へ消えてしまったのだろうか?

 

 2枚目はオアシスの姉妹店、エール・ハウスの地下廊に飾ってあるスーパートランプの大ヒット・アルバム「ブレックファースト・イン・アメリカ」(79年)でいきます。

 当時どれほどの流行ったかと言うと、年間アルバム・チャートでも5位に入り、セールス的なものもそうだが、何より、このアルバム・ジャケットのウエイトレスのオバハンまでもが有名人になってしまった。

このバンドの特徴はなんと言っても、高低の特色ある二人のヴォーカリスト(と言ってもクリスタルキングの二人ではない)ロジャー・ホッジソンとリック・ディビスの存在。  元をただせば、イギリスのプログレ系を出発点にしたバンドであったが、3作目の「クライム・オブ・センチュリー」(75年)でポップな楽曲を組み込みマイナー・チェンジして注目を集め始めた。そして、前述したロッドの「アトランティック・クロッシング」ようにスーパートランプも大西洋を越えて、拠点を西海岸に移しアメリカで本格的な活動を始める。そして「蒼い序曲」(77年)を発表。このアルバムが良い。私の持っているレコードでは、この当時のライナーを伊藤正則氏が書いており(とても趣味とは思えないが)、なんと言っても大好きな曲「ギブ・ア・リトル・ビット」というヒット曲も生まれた(この曲、確か昨年くらいのGAPのCMにカバーされていた)。

そしてこの大ヒット作「ブレックファースト・イン・アメリカ」である。1曲目の「あこがれのハリウッド」という曲で、最後に、世界は君を待っている、と彼等は歌っているのだが、この作品を世界が待っていたのが事実だった。2曲目の「ロジカル・ソング」3曲目の「グッバイ・ストレンジャー」、日英のみのシングル曲のタイトル・ナンバーとヒット曲が続く。伊藤氏が言うところのこのバンドの魅力は、なにより知性的でインテリっぽい音作りやアレンジを施す点を挙げている。私はスーパートランプこそ、究極のポップバンドだと思っている。

サイドを変えての名曲「ロング・ウェイ・ホーム」もヒットした。単純なアイ・ラブ・ユー的な曲は少なく「神経衰弱を吹き飛ばせ」「退屈な会話」と続いていくが、難解そうなタイトルとは裏腹に、あくまでもサウンドは70年代を代表するポップさである。

私は、DVDを購入したときに、最初に購入したソフトの一枚が彼等のライブ盤だった。当時、洋楽を聞き始めた私にとって、とても印象に残った大好きなバンドの一つがスーパートランプなのであった。

最後に、前回ひとこと触れて終わりにしようと思ったフリートウッド・マックの新作「セイ・ユー・ウィル」に絡めた話を…。やはり、クリスティン・マクビー不在は、私にとって大きい!リンジーとスティービーの創作意欲はものすごく伝わるし、その二人の作品のクォリティーは極めて高い。オープニングから、これぞマック・サウンド!と私のツボに完璧にはまった。しかし私には、マックのラスト・ナンバーは、いつの頃からかクリスティンの声で終わらなければ、そのアルバムは完結していない、と思い込むようになっていた。別に全てのマックのアルバムがそういう訳ではない(当然のことだが)。爆発的に売れ出した75年の「ファンタスティック・マック」以降においても「タスク」(79年)と「ミラージュ」(82年)、リンジーとの共作で「タンゴ・イン・ザ・ナイト」(87年)の3枚のみである。そして不遇の時代においても「フューチャー・ゲーム」(71年)と「神秘の扉」(73年)の2枚。そしてこの不遇な時代と売れた時代に彼女自身、何が変ったかと言われると、サウンド的には何も変っていない。でも、だったら彼女の存在は、そんな程度かと言うとしたら、当然、時代性もあるし間違いであると思う。言いたいことは、彼女の存在感は、その音と一緒で、私にとって不変なのである。特に不遇時代からの、クリスティンの活躍(サウンド)が大好きなのである。旦那(ジョン・マクビー)が撮影したジャケットの「枯れ木」(72年)における「あなたの愛を」や、これ以降のマックのトレードマークにもなる「ペンギン」(73年)の「ディスサティスファイド」、ボブ・ウェルチが去る「クリスタルの謎」(74年)でのタイトル・ナンバーや、情緒的な彼女のピアノで始まる「カム・ア・リトル・ビット・クローサー」など、贔屓目に言わせてもらうと、この時代の彼女には名曲が多い。更に遡ってマックにはいる前、チキンシャック脱退後のクリスティン・パーフェクトでのソロ時代の曲「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」。この曲は、ロッド・スチュワートも「ネバー・ア・ダル・モーメント」(72年)の中でカバーしているが、彼女の圧勝である(笑)。とにかく、マック・サウンドが好きな人で、まだこの時代に係わってないなら、期待を裏切らない彼女を保証します(万一の損失補填はしませんが)。

では、そのうちにピーター・グリーン時代のマックの話でも…。

                             2003年6月22日

   
ライアー宮崎


Copyright(C)2000-2002 Cafe & Pop Bar Oasis.