Oasisお勧めCD(第10回)

音楽にこだわりのある、OasisならではのCD紹介コーナーです。
2001年もそろそろ終わろうとしている。
6年目を迎えたオアシスも2号店「エール・ハウス」開店といった飛躍の年となった。

   

年の瀬になると、いろいろと一年を振り返る。今年は、なんと言ってもリアル・タイムで
見つづけたNYのテロ事件。
音楽がらみでは、その後にチャリティ・コンサートがいろいろと催されたようだけど
一番印象的だったのは、いつ開催されたものか忘れてしまったけれど、ロックじじい
二−ル・ヤングがピアノで弾き語っていた
ジョン・レノンの「イマジン」かな(直後、この曲やサイモンとガーファンクルの
「明日に架ける橋」等が放送規制になっていただけに…)。

私事だけれど(といっても、このコーナーはほとんど私語になっているけど)とても鮮明に
思い出す出来事がある。

たまに聞かれることだが、私がはじめて洋楽にはまったのが14才のとき。
それまでは、TBSテレビの「ザ・ベストテン」こそが唯一といっていいくらい、限られた
音楽情報しか持っていなかった。

洋楽をはじめて意識したのは小学校の高学年時代。
ませたクラスの女の子達の一部が、キッスやクイーン、ベイ・シティ・ローラーズの話を
していた時。
当時は音よりビジュアルがダメで全く受け付けられなかった。

しかし衝撃は突然やってくるもので、きっかけはご多分にもれずビートルズだった。
自分の中学校の文化祭で、演劇部の照明係だった友達の所へ、席を抜け出して
(サボって)いた時に暗闇の中でビートルズの曲がかかった。
衝撃が訪れた瞬間であった。

  「この曲なんて言うの?」
  「ビートルズのレット・イット・ビーだよ。知ってる?」
  「ビートルズで知ってるのはイエスタディくらいかな」
  (なんつーかったるい会話)

この時から私の音楽に対しての媒体は「ザ・ベストテン」からラジオに移り、割と
健全だった心と体が崩れてしまった。
この翌日、とりあえずレコード屋に行って「イエスタディ」と「レット・イット・ビー」の
入ってる日本編集盤のアルバムを買った。
そして、家に帰ると毎日のようにFMラジオ(当時はNHKと東京の2曲しかなかった)を
チェックしてビートルズのかかる番組を聞きまくった。
(その時の習性が、ラジオを聞かなくなってしまった今でも残り、1982年からの
FMファンという雑誌を全冊家に取ってある)
当時、毎日がビートルズだった。

最初は耳あたりの良い、ポールの曲が好きになった。
そして直に、そういう年頃だったせいかジョンのロックンロールに夢中になった。
最後に(今だにそうなのだけど)「ラバー・ソウル」以降の内省的なジョンの詩や、
ヨーコと出会ってからのジョンの激しさやヒューマニズムに惹かれていった。
とても多感な時期だったし、密度の濃い数ヶ月で、好みが変わっていくのが自分でも
よく判った。
それにしても、あの頃は本当に毎日がビートルズだった。
派生的に解散後の、それぞれのソロ活動の曲にも耳を傾けたが、他のメンバーには
申し訳なかったが、ジョン以外には全く興味が持てなかった。

そんな時に、5年間もリタイアしていたジョンが音楽活動を再開するという。

1975年、ヨーコとの間に息子ショーン(名付け親は親友のスター・エルトン)が生まれ
(ジョンと同じ10月9日)、親の愛情を知らずに育ったジョンは、息子にはそんな思いを
させたくないとハウス・ハズバンドになってしまった。
しかし、ショーンの成長がジョンの音楽活動を再開させる。

「パパはビートルズだったの?」というひと言で。

1980年11月下旬「ダブル・ファンタジー」(ジャケット写真は篠山紀信)が遂に発売され、
ラジオでも新曲「スターティング・オーバー」が頻繁にオン・エアされた。
すぐにアルバムがほしかったけれど少しだけ待った。
親に、誕生日に何がほしいか?と聞かれ迷わずジョンの新作をリクエストしたため。
だから12月5日まで待った。
2週間ほど待って、やっとジョンとヨーコのコラボレーションを聴いた。
ヨーコの「キス・キス・キス」は、当時とっても恥ずかしかったのでヴォリュームをしぼった
けれど、ずっと興奮しっぱなしだった。
ジョン・レノンのロックが初めてリアル・タイムで聴けたのだから。
かなり拡大解釈してしまうと初めてのビートルズ体験である。至福の時間が過ぎていく。

しかし、楽しい時間は長くは続かないものである。
12月9日(現地時間の8日)、いつものように学校から遊んで帰ってくる
(当時の学校はまだ遊び場でもあった)。
いつものように家では6時過ぎくらいからNHKが点けられていた。
そしてニュースの時間。
時報と共に銃撃音。
そしてジョンの「イマジン」が流れてくる。
らしくないNHKの演出。
トップ・ニュースでジョン・レノン射殺が報道されていた。

しばらくの間は、洋楽好きの友達と興奮しながら電話でしゃべっていた。
そして、ラジオを点けた。
生番組が聴きたくてFENを流し続けた。
ずっと、ジョンやビートルズのナンバーだけが流れつづけている。

深夜、一人になると、世界中のビートルズ・ファン、ロック・ファンと同じリアクションが
自分にも起きた。
ラジオから流れてくる曲を聴きながら、目と鼻から、唯ひたすら液体が流れ出ていく。
ルーズベルト病院に運ばれた時には、すでに70%の血液がなくなっていたという
ジョンに負けないくらい、流れても尽きることなく涙がでてきた。

それから数日間は、頭の中でNYのダコタ・ハウスとシンクロしていた。
血のついた割れたサングラス。
マーダー、チャップマンの持っていたサリンジャーの狂本「ライ麦畑でつかまえて」。
セントラル・パークにキャンドルを持って集まった10万人以上の人々。
そしてジョンの唄の大合唱。虚無感が受験生を襲ってくる。

21世紀になっても、その季節はやって来る。新規巻きなおし。
赤裸々に唄った問題作「マザー」と対になる幸せの鐘の音。
戦場は変わっても人間の愚かさは永遠である。
12月になったら、オアシスにジョンの曲でもリクエストしに行こう。

                 1940−1980 John  Lennon

   
追記

ジョンのことを書き終わって、原稿がアップしないうちにジョージが長い癌との闘病生活に
幕を下ろしてしまった。
火葬して灰はガンジスに流すらしい。
ジョンとは違う形で東洋的なアプローチを行い、4人の中ではひょっとして一番音楽的な
幅を持っていた人物だったかも。
幸運にもクラプトンとの共演を観ることが出来た。アンコールではビートルズ時代の
言わずと知れた名曲を
やって、そこに集まった全てのファンを興奮させてくれた。
天国でも、あなたのギターは密かにむせび泣いているのだろうか…。

                         合掌
 
ライアー宮崎


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