Oasisお勧めCD(第7回)

音楽にこだわりのある、OasisならではのCD紹介コーナーです。

このコーナー、実はオアシスの鈴木氏に
「店のイメージに似合うCDをホームページで紹介していきたいんだけれど…」と
頼まれたのがきっかけなんですが、始めてみるとついつい自分の趣味8割で書いてしまって…。
今回は、その鈴木氏のリクエストに答えましてフリートウッド・マックを紹介していきます。

このバンド、私も大好きなんです。バンドの歴史は長く、60年代後半のピーター・グリーン、
ジェレミー・スペンサーといった有名なギタリストがいたブルース・マック時代と、
最近(?)のポップバンド時代では全く別物のバンドなんで、初期のコアなファンからは
何か言われそうですが、私は全時代を通してのマック・ファンなんです。

  
このマックの偉大なキャリアの中から1枚を選ぶにあたって、ウエスト・コースト系が主流の
オアシスのBGMとしても最適であろう、リンジー・バッキンガムとスティービー・ニックスが
加入した以後からで、最初のアルバム「ファンタスティック・マック」(75年)をピック・アップ
したいと思います。

よくフロントマンが変わることで知られるフリートウッド・マックですが、前述した2人が入る
前までは、後にパリスというバンドやソロで活躍するボブ・ウェルチと言う人がいました。
この当時の作品も、マックのオリジナルメンバー、ジョン・マクビーがジャケット写真を撮った
「枯れ木」(72年)なんて渋いアルバムを作って、ウェルチ自身がソロになりセルフカバーして
ヒットさせる「センチメンタル・レイディ」なんて隠れた名曲もあったりもするんですが、
アメリカでは全くの不発で終わってしまっています。

一方、リンジーとスティービーもマック加入前はデュオとしてアルバム
「バッキンガム・ニックス」(当時の流行っぽいカントリー・フレイバーの感じられる
ウエストコースト系のロック・アルバム)を発表していましたが、こちらも全く話題にもならず、
リンジーはスタジオ・ミュージシャン、スティービーはウエイトレスをしていたほどです。

しかし、人生の転機なんてちょっとした事で変わるもの。
売れない者どうし(リンジー、スティービーとミック・フリートウッド、ジョンとその妻
クリスティン・マクビー)が一緒になりアルバム「ファンタスティク・マック」を発表すると
1年以上かけて、ゆっくりとチャート・アクションを起こし、遂にビルボート史上、もっとも発売週を
かけてナンバー・ワンにたどり着いてしまいました。
シングル・ヒットした「オーバー・マイ・ヘッド」「リアノン」「セイ・ユー・ラブ・ミー」の他にも
リンジーの力作「アイム・ソー・アフレイド」、バッキンガム・ニックス時代のセルフ・カバー曲
「クリスタル」、60年代にチキンシャックにいた頃から全く変わらないクリスティンの歌声。
3人の個性がうまくブレンドされたクオリティの高い作品に仕上がってます。
個人的にも、75年以降の後期マックでは1番好きなアルバムです。
結局、この成功で自信をつけた彼らは、延長線上で作られた「噂」(77年)というアルバムが
31週1位になり(これは、あのマイケル・ジャクソンの「スリラー」が37週1位を記録するまでの
最長1位記録で、現在も歴代2位)バンド名を不動のものとしました。
以後も発表するアルバムは名作揃いで「タンゴ・イン・ザ・ナイト」(87年)でリンジーがバンドを
脱退するまで、トップバンドとしてのキャリアを築き続けました。その後は、代わりのメンバーも
なかなか固定できず(本来なら、いろいろ人物紹介したいところなんですが)、7〜8年前に
人知れず来日したときには、ミックとジョン、それにトラフィックというバンドで一時代を築いた
デイブ・メイソン、ビリー・バーネット、更にデラニー・アンド・ボニーの娘デッカ・ブラムレットという
ラインナップで、アンコールでは何故かジョン・レノンの「イマジン」を演奏していて、なんか
カラオケバンドみたいで、新宿の厚生年金も6割くらいしか客がいませんでした。

 

  
このバンドについて、本当は、ファンの一人としてじっくり最初からプロフィールを
紹介したいのですが、長くなってしまいましたので最後にブルース時代について少々。
あのエリック・クラプトンに、マイナーブルースを演らせたらピーター・グリーンの
右に出るものはいない、と言わせたくらいの人物が初期マックの中心で、95年には
豪華メンバーによる2枚組のトリビュート盤も出されています。
(ゲイリー・ムーアも参加予定だったはずが、曲目に不満をもち
「ブルース・フォー・グリーニ−」というグリーンに捧げられたアルバムを一人で作って
しまいました)。
グリーンは元々、クラプトンの後釜としてジョン・メイオールとブルースブレイカーズの
ギタリストで、当時、リズム隊としていたのがミックとジョン。
そして結成されたのが、2人の名前を取ってフリートウッド・マックとなったものでした。
この初期のブルース時代で1番有名な曲としては、なんと言っても
「ブラック・マジック・ウーマン」。
サンタナのヒットで有名になりましたが、マックがオリジナルなのです。
(1〜2年前にUCC無糖ブラックのCMソング)
結局、グリーンは薬にはまって精神を患い病院送り。
彼と並び称されたジェレミー・スペンサーも新興宗教にはまってドロップ・アウト。
イギリスで1,2位の人気を博したブルース・マック時代は終わりを告げ、バンドはアメリカへその
舞台を移したのです。
そして、暫くの不遇時代をすごした後、先ほど触れたような大成功。
アルバム「噂」に入っていたヒット曲「ドント・ストップ」は、ロック好きのビル・クリントンが初の
大統領選に出馬したときのキャンペーン・ソングにも選ばれ、勝利後、フリートウッド・マックは
ホワイト・ハウスで演奏もしています。
 

最後の最後にもうひとつ。
前々回のこのコーナーで、ブラック・クロウズについて少し書かせてもらいましたが、東京公演の
最終日、アンコールのラスト・ナンバーは、なんと「オー・ウェル」。
ピンときていないクロウズ・ファンも沢山いましたが、彼らが最後に選択したナンバーこそ、
ピーター・グリーンがフリートウッド・マックに在籍していたときの最後の名曲といわれていた
ナンバーだったのです。

書きたいことが多すぎてバンド話になってしまいました。鈴木さんゴメン!
ライアー宮崎

 

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